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「ありがとう」を25000回言うと、いいことが起きる。そんな話を聞いて、いつか試してみたいと思っている方は、けっこう多いのかもしれません。
わたしも、その一人でした。そして実際に、山にのぼりながら、数えきれないくらい「ありがとう」を口にした日があります。
ただ、先にひとつだけ正直に書いておきます。わたしの場合、それで劇的な奇跡が起きたわけではありませんでした。それでも、今も「ありがとう」はわたしの口ぐせのように残っています。
※信じても、信じなくても大丈夫です。「何回言えば必ず幸せになる」というお話ではありません。あくまで、わたしが感じたことを、そのままお伝えするだけの記事です。
「ありがとう」を25000回とは、どんな言葉か
「ありがとう」という言葉には、口に出しているだけで、少し気持ちがやわらぐようなあたたかさがあります。言われるとうれしいですし、不思議なもので、自分で言っても、なんだかホッとするところがあります。
この「ありがとうをたくさん言う」という実践を広めたのは、心学研究家として知られる小林正観さんという方です。たくさんの本を書かれ、講演を続けてこられた方で、2011年に亡くなられています。
正観さんは、こんなふうに伝えていたそうです。心を込めなくてもいいから、まず「ありがとう」を25000回言ってみる。そうすると、あるとき急に感謝の気持ちがあふれてきて、涙が出てくることがある——と。
わたしがこの話を知ったのも、櫻庭露樹さんやひすいこたろうさんが、動画の中で楽しそうに紹介していたのがきっかけでした。
この「ありがとう25000回」には、ちょっとしたルールがあります。要点をまとめると、こんな感じです。
- 言うのは「ありがとう」だけ。心はこもっていなくても大丈夫
- 回数は25000回。何日かに分けても、一気に言ってもよい
- とちゅうで愚痴・不平不満・悪口を言うと、数がリセットされると言われている
「せっかく数えたのに、愚痴ひとつでゼロに戻るの?」と、ちょっと厳しく感じるかもしれません。でも、ここにやさしい救済ルールもあります。
ひすいこたろうさんが紹介しているのは、うっかり愚痴を言ってしまっても、すぐに「なしなし、今のなし」と言えばセーフ、という考え方です。完璧にできなくてもいい、という空気が、なんだかホッとしますよね。
わたしが、山寺で数千回「ありがとう」を唱えた日のこと
この「ありがとう」を、わたしがいちばん本気で唱えたのは、山形にある山寺にのぼったときでした。
山寺は、長い石段を、一段一段のぼっていくお寺です。せっかく静かな山道を歩くのだから、と思って、のぼりながらずっと「ありがとう、ありがとう」と口にしてみることにしました。
これが、やってみると意外とむずかしいのです。何度も続けて言っていると、だんだん呂律が回らなくなってきて、「ありがとう」が「あがりしま」みたいな、へんな言葉に崩れてくるのです。
それでも、行きも、頂上でも、帰りも、ずっと言い続けました。時間にして、たぶん一時間半くらいでしょうか。数えていなかったので正確には分かりませんが、数千回は言ったと思います。
「言っているうちに涙があふれてくる」と聞いていたので、心のどこかで、そうなる自分を少し期待していたのだと思います。
正直な話——涙は出ませんでした
ここが、この記事でいちばん正直に書いておきたいところです。
結局、涙は出ませんでした。特別なことも、何も起きませんでした。数千回言って、山をおりて、そのまま一日が終わりました。
25000回には、まったく届いていなかったのだと思います。きっと、わたしの回数が、単純に足りなかったのでしょうね。
「なんだ、意味がなかったのか」と思われるかもしれません。でも、わたしはそうは感じていません。あの山道で「ありがとう」を言い続けた時間そのものが、なんだか気持ちのいい時間だったからです。
というのも、「ありがとう」は、自分で言った声が、自分の耳からもう一度入ってきます。人から「ありがとう」と言われるとうれしいのと同じで、自分の声でも、言われるとどこか心地いいのです。
奇跡は起きませんでした。でも、あの日から「ありがとう」という言葉が、少しだけわたしの近くに来てくれた気がしています。
いまは、口ぐせみたいに「ありがとう」が出てきます
面白いもので、あれから日常のなかで、ちょっとしたことにもすぐ「ありがとう」「ありがたいな」と言うようになりました。
人に対してだけではありません。毎日使っている道具にも、あたたかいごはんにも、「ありがたいな」とつぶやいている自分がいます。
大きな幸せでなくても、ほんの小さなことに「幸せだな」「ありがたいな」と感じやすくなった——これが、わたしにとっての、いちばんの変化かもしれません。「ついてる」という言葉と同じくらい、「ありがとう」も口ぐせになってきました。
そう考えると、25000回に届かなくても、あの山寺の時間は、ちゃんと今につながっているのだと思います。
無理のない、「ありがとう」の取り入れ方
もし試してみたいなと思ったら、いちばんのコツをお伝えします。それは、「ありがたい気持ちが湧いてくるのを待たなくていい」ということです。
ありがたくなくても、とりあえず「ありがとう」と言ってしまう。何にありがとうなのか分からなくても、言葉そのものがいいので、まず口に出せばいいのだと、わたしは思っています。
そうしているうちに、だんだん口ぐせになって、ふっと自然に出てくるようになります。そうなったら、しめたものです。言うたびに、自分の声で少し気持ちがほぐれていきます。
ただ、ひとつ正直に付け加えておきたいことがあります。
本当に心がしんどいときには、「ありがとう」は、なかなか出てきません。むりに感謝しようとすると、かえって苦しくなることもあります。
わたし自身、つらいときに出てくるのは「ありがとう」ではなく、「大丈夫、なんとかなる」のような言葉のほうです。だから、しんどいときは、無理に「ありがとう」を言おうとしなくて大丈夫です。言葉は、そのときの自分に合うものを選べばいいのだと思います。
よくある疑問
Q. 心を込めなくても、意味はあるのでしょうか?
A. 小林正観さんも「心を込めなくていい」と伝えていたそうです。わたしの実感でも、まず言葉を口にすることが大事で、気持ちはあとから、ゆっくりついてくるように思います。
Q. 25000回に届かないと、意味がないですか?
A. そんなことはないと、わたしは思います。わたし自身、25000回には遠くおよびませんでしたが、それでも「ありがとう」が口ぐせになり、小さなことに感謝しやすくなりました。回数はひとつの目安、くらいに考えておくと気楽です。
Q. 途中で愚痴を言ってしまったら、どうすればいいですか?
A. 「なしなし、今のなし」と言えばセーフ、というやさしいルールもあります。そもそも、そんなに厳密に考えなくても大丈夫です。うっかりを責めるより、また言いはじめればいい、くらいの気持ちがちょうどいいと思います。
Q. 声に出さず、心の中で言ってもいいですか?
A. もちろん大丈夫です。ただ、わたしの体験でいうと、小さくても声に出したほうが、自分の耳から言葉が入ってきて、より気持ちがやわらぐ気がしています。場面に合わせて、使い分けてみてください。
おわりに
山寺で数千回の「ありがとう」を唱えても、わたしには涙も奇跡も訪れませんでした。正直に言えば、そのときは少しだけ拍子抜けもしました。
それでも、あの日からずっと、「ありがとう」はわたしのそばに残っています。大きな奇跡ではなく、小さなことをありがたいと思える日が、少しずつ増えていく。わたしにとっての「ありがとう」の効果は、たぶん、そういうものでした。
もし、よかったら。ありがたくなくてもかまいませんので、今日、ひとつだけ「ありがとう」と口にしてみてください。その声が、あなたの耳にも、やさしく届きますように。