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休みの日に、気軽に誘える人がいない。まわりが友達同士で楽しそうにしているのを見ると、少しだけ胸がしぼむ。「自分には友達がいないな」と、ふと感じる夜がありませんか。
じつは、これを書いているわたし自身が、まさにそういう人間です。今日は、斎藤一人さんの言葉で、その気持ちがふっと軽くなった話を、正直に書いてみます。
※「友達は無理に作らなくて大丈夫」という話です。「一人でも平気になれ」と励ますのでも、「やっぱり友達は大事」と説教するのでもありません。どっちつかずの気持ちのまま、読んでみてください。
わたしは「一人ぼっち好きの、寂しがり屋」です
自分のことを、わたしはひそかに「一人ぼっち好きの、寂しがり屋」と呼んでいます。われながら、ややこしい人間だなと思います。
基本的には、一人がいいのです。一人の時間は気楽で、なにより疲れません。誰にも気をつかわなくていい時間が、わたしはけっこう好きです。
それなのに、まわりの人が友達同士でわいわい笑っているのを見ると、「いいなあ、うらやましいなあ」と思ってしまう。あんなふうに、自分もやってみたいなと思うのです。
でも、いざ自分がやろうとしたら、きっとどっと疲れるだろうな、というのも目に見えている。一人は好き、でも少し寂しい。この複雑さと、ずっと一緒に生きています。
人と話すときの、あのプレッシャー
そもそもわたしは、人と話すのが、あまり得意ではありません。ずっと仲のいい人となら、気楽に話せます。でも、ちょっと微妙な間柄の人と話すときが、どうも苦手なのです。
そういうとき、頭の中でこんなことを考えてしまいます。「自分なんかと話して、この人、楽しいのかな」。「なにか面白いことを言って、相手を楽しませないと」と。
この「楽しませなきゃ」というプレッシャーが、じわじわと重い。だから、正直なところ、あまり人と話したくないな、と思ってしまうのです。
同じように感じている方は、きっと少なくないと思います。人づきあいが、なんとなく面倒くさい。でも、まったく平気なわけでもない。そういう気持ちです。
友達を作りたい、でも「面倒くさい」
友達は、本当にあまりいません。そして、正直に言うと、作りたいとも、あまり思わないのです。
いえ、「作ったら、きっと楽しいだろうな」とは思うのです。思うのですが、その次に必ず、「うーん、面倒くさいな」という気持ちが、正直にやってくる。
この矛盾に、わたしは長いあいだ、少しだけ後ろめたさを感じていました。友達がいないのは、自分に何か足りないところがあるからなんじゃないか、と。
「一人でも成長できる」という言葉に、救われた
そんなとき、斎藤一人さんの話のなかで、こんな考え方に出会いました。わたしなりに受け取ったのは、こういうことです。
友達がたくさんいることで成長する人もいれば、一人の時間で成長していく人もいる。どちらが正しい、というものではない、と。
これを聞いたとき、わたしはずいぶん気が楽になりました。「ああ、自分は、一人でも成長していけるタイプなんだな」と、すとんと腑に落ちたのです。
斎藤一人さんは、誰にでも好かれようと無理をしなくていい、まず自分を大切にすることが先だ、というお話もされています。人に合わせて自分をすり減らすより、自分のままでいる。すると、縁のある人とは自然につながっていく、と。
「楽しませなきゃ」と気を張っていたわたしには、この「無理に好かれようとしなくていい」という言葉が、そっと肩の力を抜いてくれました。斎藤一人さんの前向きな言葉については、天国言葉の記事でも書いています。
寂しさも、無理に消さなくていい
ここで、正直なことを付け加えておきます。この言葉で楽になったからといって、寂しさが完全に消えたわけではありません。
今でも、みんなでわいわいしている人たちを見れば、「楽しそうだな、いいなあ」と思います。その気持ちは、たぶん、これからも消えないのだと思います。
でも、それでいいのだと、今は思っています。一人が好きなのも本当。ちょっと寂しいのも本当。どちらかに決める必要はなくて、両方の気持ちを、そのまま持っていていいのです。
「一人でいる自分はダメだ」と責めるのを、まずやめる。それだけで、一人の時間が、少しやわらかいものに変わっていく気がします。
「良き友」について、小林正観さんの話も少しだけ
ここまでは、斎藤一人さんの言葉に救われた、というわたしの話でした。最後に、「良き友」について小林正観さんが語っていることも、そういう見方もあるよ、というくらいの気持ちで、少しだけそえておきます。
心学研究家として知られる小林正観さんは、人が生きるうえで大切なのは「喜ばれる存在になること」だと言っています。友達を増やそうとがんばるのではなく、自分が、まわりの人を少し笑顔にする側でいる。すると、気の合う人とは、自然につながっていくことがある、と。
これは、斎藤一人さんの「縁のある人とは自然につながる」という話とも、どこか重なります。追いかけて作るのではなく、自分がやさしくしていれば、合う人だけが残っていく。そういう、力の抜けた友達のでき方です。
じつは、わたしにも少しだけ思い当たることがあります。友達を増やそうとは思わないのですが、見ず知らずの人にでも「よく頑張っていますね」と、そっと声をかけたくなることがあるのです。友達になるためではなく、ただ、その人が少し軽くなればいいな、と思って。
小林正観さんの言う「喜ばれる存在」というのは、案外、そういう小さなことなのかもしれません。お釈迦さまも「良き友を持つことは、それだけで尊いことだ」と説いた、と正観さんは紹介しています。
ただ、これも「良き友を作らなきゃ」と義務にしなくて大丈夫です。喜ばれる存在でいるのも、心に余裕のある日に、ひとつやってみるくらいで十分。できない日は、しなくていいのです。
よくある疑問
Q. 友達がいないのは、やっぱり良くないことですか?
A. 良い・悪いで決めなくていいと思います。友達が多くて元気が出る人もいれば、一人の時間で力を蓄える人もいます。あなたがどちらのタイプか、というだけの話です。
Q. 人と話すと気をつかって疲れてしまいます。
A. わたしもまったく同じです。「相手を楽しませなきゃ」と気負うと、どうしても疲れます。無理に話し上手になろうとしなくて大丈夫です。話せる相手とだけ、話せばいいと思います。
Q. 少し寂しい気持ちは、どうすればいいですか?
A. 消そうとしなくて大丈夫です。寂しさは、無理に打ち消そうとすると、かえって大きくなります。「今、ちょっと寂しいな」と、そのまま認めてあげるだけで、少し落ち着くことがあります。
まとめ——ややこしい自分のままで、大丈夫
友達がいない、人づきあいが面倒くさい、でも少し寂しい。この、ややこしくてまとまらない気持ちを、わたしは今も抱えています。
でも、斎藤一人さんの言葉に出会って、「一人でも成長していける自分で、いいんだ」と思えてから、少しだけ、その気持ちと仲良くなれました。
もし今、同じような気持ちでいるなら。無理に友達を作らなくて大丈夫です。無理に一人を楽しまなくても大丈夫です。一人ぼっち好きの寂しがり屋のままで、ちゃんと大丈夫だと、わたしは思っています。