「困ったことは起こらない」斎藤一人さんの教え|すべてはよくなると思えた体験談

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「困ったことは起こらない」斎藤一人さんの教え|すべてはよくなると思えた体験談

思いがけず大きな役が回ってきて、「どうしよう、わたしにできるかな」と、胸がざわざわすることがあります。

そんなとき、わたしの心をそっと支えてくれるのが、斎藤一人さんの「困ったことは起こらない」という言葉です。

この記事では、この言葉がどんな意味なのかを整理したあと、わたしが実際にこの言葉に助けられた、じゃんけんにまつわる正直な体験を、そのままお話しします。

※ 信じても、信じなくても大丈夫です。何かが必ず変わる、という保証の話ではありません。あくまで「そう受け止めると、少し楽になる人もいる」という範囲の、やさしいお守りのような言葉です。

「困ったことは起こらない」とは、どんな言葉か

「困ったことは起こらない」は、日本一の納税者として知られる実業家・斎藤一人さんが、よく口にしてきた言葉です。

字面だけ見ると、「困ったことなんて何も起きないよ」という、少し無理のある言葉に感じるかもしれません。

でも、斎藤一人さんが伝えているのは、そういう意味ではないのだと、わたしは受け止めています。

目の前で起きたことを「困った」と決めつけるのではなく、「これは、いまの自分に必要だから起きたこと」と、受け止め直してみる。そういう視点の言葉です。

つまり、起きたことは「困りごと」ではなく、自分を育てるための、必要な出来事だった——そんなふうに、意味の置きかたを少しずらしてみる、ということなのだと思います。

これは、無理にポジティブになろうとする話とは、少し違います。「つらい」と感じている気持ちを、むりやり「うれしい」に変える必要はありません。

ただ、「これは困ったことじゃないのかもしれない」と、ほんの少し肩の力を抜くための、受け止め方のひとつなのだと思っています。

わたしがこの言葉に出会ったきっかけ

正直にお話しすると、この言葉をどこで最初に知ったのか、はっきりとは思い出せません。

本だったか、動画だったか、耳で聴く本(オーディブル)だったか。とにかく、斎藤一人さんが語っているのを、どこかで見聞きしたのがきっかけでした。

わたしは斎藤一人さんの言葉を、そうやって少しずつ、生活のすきまで受け取ってきました。難しい理屈ではなく、ふっと心に残る短い言葉が多いのが、ありがたいところです。

「困ったことは起こらない」も、その中のひとつとして、いつのまにか、わたしの心の引き出しに入っていました。

じゃんけんで、まさかの学年委員長になった話

わたしがこの言葉にいちばん強く支えられたのは、3年前、上の子の学校で、PTAの学年委員長になってしまったときのことです。

しかも、お願いされて引き受けたわけではありません。じゃんけんで決まったのです。

その学年は、3クラスありました。まず各クラスで代表を1人ずつ決めて、その3人の代表が集まって、そこから委員長を1人、副委員長を2人決める——そういう流れでした。

正直なところ、わたしはいちばん最初——まだクラスの代表を決める段階から、どこかのんびり構えていました。「こういうのは、きっと誰か『やります』と手を挙げる、物好きな人がいるだろう」と、そう思っていたのです。

だから、まさか自分がやることになるなんて、その時点では夢にも思っていませんでした。

ところが、いざ3人で集まってみると、進んで委員長をやりたいという人は、いませんでした。

そして、じゃんけんが始まりました。「あ、まあ大丈夫でしょう」——そんな軽い気持ちで手を出していたら、そのまま、ずるずると決まってしまったのです。

負けた瞬間、心の中に出てきた言葉は、「やば。どうしよう、どうしよう」でした。

まわりの保護者の方たちは、正直、ほっとした顔をしていました。「お願いします」「何でも手伝いますから」と。その気持ちも、よく分かります。少し前まで、わたしも同じ側にいたのですから。

いちばん怖かったのは、人前で話すことでした

初めての委員長。経験もなく、これから何がどうなるのか、まったく分かりません。とにかく、不安でいっぱいでした。

なかでも、いちばん怖かったのは——人前で話すことでした。

わたしは、もともと人前がものすごく苦手です。赤面症で、たくさんの人の前に立つと思うだけで、顔がかっと熱くなります。

委員長になれば、大勢の保護者の前で話す場面が、きっとある。その姿を想像しただけで、もう、いやでいやでたまりませんでした。

おもしろいもので、じゃんけんで決まったその日の夜は、意外と平気だったのです。話し合いのあいだは「やるしかない」とアドレナリンが上がっていて、家族に「え、まじで?」と驚かれても、「まあ、こういうことも経験だよな」と、乗り気ですらありました。

ところが——次の日の朝、目が覚めて現実を思い出したとたん、ものすごい不安が、どっと押し寄せてきました。

あの前向きさは、アドレナリンだったんだな、と思います。ああいう高ぶりは、一晩眠ると、すっと引いてしまうのですね。

そこからは、当日を迎えるまでの毎日が、とにかく重たかったです。人前で話す場面を思い浮かべては、不安で、不安で。本番よりも、それまでの時間のほうが、ずっとしんどい。そんな日々でした。

「困ったことは起こらない、これも必然」と思えたら

その、押しつぶされそうな不安のなかで、ふと思い出したのが、この言葉でした。

「困ったことは起こらない。ということは、これは必然なんだ」と。

じゃんけんという、まったくの偶然で決まったことです。それなのに——いえ、だからこそ、こう思い直してみました。

この役がわたしのところに来たのには、意味がある。人前が苦手なわたしにこそ、必要だから来たことなんだ、と。

  • これは「困ったこと」じゃない
  • 苦手なわたしを育てるために、回ってきたことなんだ
  • だったら、いまのわたしにできる範囲で、やってみよう

不安がゼロになったわけではありません。それでも、「これは必然なんだ」と思えたぶんだけ、当日までの重たい日々を、なんとか歩いていけました。

そして、迎えた当日。いざ本番になってみると、意外と、大丈夫だったのです。

正直に言うと、行事の段取りや、とりまとめの仕事そのものは、そこまで苦手ではありませんでした。準備は委員長が動くしかないので、基本は自分でやりましたが、それは意外と、いやではなかったのです。

そして、いちばん怖かった当日は、まわりの人が、ものすごく助けてくれました。あれだけ想像でふくらませていた恐怖は、実際にはそこまでではありませんでした。

いま振り返ると、いちばんつらかったのは、実際の本番ではなく、「どうなるか分からない」まま不安を想像していた時間だったのだと思います。その時間を、この言葉と一緒に、なんとか越えられました。

そして今、まさかの2回目——すべてはよくなる

実は、いままた、わたしはこの委員長をやっています。3年前の上の子のときが終わって、今度は下の子で——またもや、じゃんけんで。まさかの、2回目です。

2回ともじゃんけんで決まった、というのは、我ながら、よくよく縁があるなあと思います。

でも、今回は、あのときほどの不安はありません。一度やれたから、たぶん、今回もやれる。そう思えている自分がいます。

ひとつ、正直に書いておきたいことがあります。わたしの赤面症は、いまも治っていません。人の目が気になる気持ちも、完全に消えたわけではないのです。

ただ、こういう場面を何度も経験するうちに、少しずつ、慣れてきました。以前ほど人の目が気にならなくなって、話す内容のほうに集中できるようになってきた——ほんの少しずつ、ですが。

この言葉が、赤面症を魔法のように治してくれたわけではありません。それでも、「これも必然」と受け止めながら場数を踏むうちに、前よりは少しだけ、人前に立てるようになった気がしています。

あんなに怖かった1回目を、この言葉と一緒に越えられた。その一歩が、いまの小さな自信になっているのだと思います。困ったように見えた出来事は、やっぱり、わたしに必要な必然だったのかもしれません。

こうして振り返ると、困ったように見える出来事も、ぜんぶ、よくなっていく途中の一場面なのかもしれない、と思えてきます。あわてなくても、すべてはよくなっていく。そんなふうに思えると、少しだけ、肩の力が抜けます。

これは、小林正観さんの「人生はシナリオ通り」という考え方にも、どこか通じる気がしています。起きることは、もともと決まっていた大切な流れの一部なんだ、という受け止め方です。

わたしの場合はPTAでしたが、これはきっと、場所が違っても同じだと思います。会社で大きな役を任された人も、町内会の役が回ってきた人も。「どうしよう、わたしにできるかな」——あのざわざわは、みんな一緒です。

斎藤一人さんには、ほかにも「だんだんよくなる」「なんとかなる」といった、心をゆるめてくれる言葉がたくさんあります。どれも、急がなくていいよ、と背中をなでてくれるような言葉です。

わたしが斎藤一人さんの言葉に出会えたのも、耳で聴く本がきっかけでした。

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よくある疑問

Q. 信じられないときも、思い出していいのでしょうか?

A. 大丈夫です。「本当かな」と思いながらでも、かまいません。信じ切れないまま口にした日も、わたしにはたくさんあります。効くかどうかを決めなくても、思い出すこと自体が、少し気持ちを整える時間になります。

Q. どう見ても「困ったこと」が起きたときは、どうすれば?

A. 無理に「これはいいことだ」と意味づけしなくて大丈夫です。つらいものは、つらい。それでいいのです。少し落ち着いてから、「もしかしたら、別の見方もあるのかな」と、そっと触れてみるくらいで十分だと思います。

Q. 何回くらい思い出せばいいですか?

A. 回数の決まりはありません。不安になったそのときに、ふっと思い出す。わたしは、それだけで続けています。がんばって唱えようとしなくても、大丈夫です。

まとめ

「困ったことは起こらない」は、困りごとをなかったことにする言葉ではありません。

目の前で起きたことを、「困った」ではなく「わたしに必要だから起きた、必然のこと」として受け止め直す。そうすると、不安の重さが、少しだけ軽くなることがあります。

わたし自身、じゃんけんでまさかの学年委員長になり、人前で話すのが怖くて、当日まで不安に押しつぶされそうになったとき、この言葉に、そっと支えてもらいました。実際にやってみたら、まわりに助けられて、なんとか越えられたのです。

信じられなくても大丈夫。うまく思えなくても大丈夫です。

思いがけない役が回ってきて、胸がざわざわした朝に。「困ったことは起こらない、これも必然」と、心の中でそっとつぶやいてみる。この記事が、その小さなきっかけになれたら、うれしいです。